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「おれたちのインターネッツ」は大海原ではなく井戸であった


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インターネット回顧録をいくつか読んだ。


回顧録を読んでいつも思うのは、自分のインターネッツと彼らのソレとではほとんど円が重なっていないということだ。ぼくの知らない、経験していないインターネッツ。100人いれば100通り「おれたちのインターネッツ」があった、ということだろう。


これが大きく変化したのはやはりmixiの登場ではないだろうか?


mixiでインターネットデビューした人たちのその後はおそらく似たり寄ったりで、ほとんどが同心円で重なるような気がする。Twitter以降となると、もはや全く同じ円の中にいる人たちばかりだ。だから衝突・炎上が絶えない。


インターネットはよく海に例えられる。しかし、いま思い返すと、「おれたちのインターネッツ」は海ではなく、ただの井戸だったような気がする。無数にある井戸。どの井戸に入るか、それは自由だしまた複数の井戸に降りていくことも可能だった。しかし、それらは決して海には通じていない。つまり、おれたちは井の中の蛙として「おれたちのインターネッツ」を楽しんでいたのだ。


そしていま、無数にあった井戸は海の潮位があがったことによりその大部分が飲み込まれてしまった。高台にあるわずかに残った井戸ですら、水が枯れ果てようとしている。おれたちが「おれたちのインターネッツ」を回顧するのは、海から水を汲み高台まで上って最後まで残った井戸に水をやり、「おれたちのインターネッツ」へ祈りを捧げるようなものかもしれない。


回顧録は懐古禄。


まあそういうことなんだろう。

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