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マスコミとハルキスト()だけの村上春樹ノーベル賞から騒ぎ


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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

 

村上春樹作品を汚すだけのゴミクズみたいな存在、それがハルキスト()

さて、毎年、今年こそ受賞だ、とマスコミとハルキスト()だけが踊っている村上春樹ノーベル文学賞のから騒ぎですが、そんな風潮に苦言を呈すような記事が話題です。

 

今年も落選!村上春樹はそもそもノーベル文学賞候補ではないとの説が!?

 

そもそも村上春樹候補ですらない、という身も蓋もない記事ですが、実際本当に候補に入ってるかどうかは50年経たないとわからないそうです。また、政治的な立ち位置も影響するらしく、日本で権威を与えられていない孤高の作家は受賞できないのではないか、という推測がなされています。

 

とまあ色々な憶測を呼ぶ村上春樹ノーベル文学賞のから騒ぎですが、出版社が村上春樹の本を売るためにマスコミを利用して始まったのではないか、なんてことも言われるようになってしまいました。取れる取れる詐欺をやり過ぎたせいですかね・・・。

 

何しろ出せば100万部確実と言われ、文芸界では村上春樹一強時代が続いてますから、この出版不況の嵐が吹き荒れる中、村上春樹依存が高まるのも無理のないことです。ノーベル賞受賞ともなれば当然売上も伸びるので、出版各社、マスコミともに期待しちゃいますよね。結局、金、なんですよ。このから騒ぎの裏にあるのは・・・。

村上春樹ノーベル文学賞

ぼくは村上春樹ノーベル文学賞に値するほど世の中に影響を与えたとは思っていないので、ノーベル文学賞を受賞しようがしまいがどうでもいいと思ってます。

 

そもそも作家が社会に影響を与えられたような大江の時代と村上春樹の時代は違いすぎるし、選考基準が不透明なノーベル文学賞自体にもあまり価値を見いだせないとなると興味も薄れます。そりゃ、世界的権威と崇められているノーベル賞ですから、日本人には強烈なインパクトを与えられるのはわかってますけど、それって単に本を売るために使われるだけ、でしかないでしょ?そういう意味ではモンドセレクションみたいなもんですよ。

 

そもそも、村上春樹ってそのような権威とは無縁の存在だと思っていたので、最近ヨーロッパの方で賞をもらうと喜んで受賞しにいっちゃうのも実は理解できてません。ビートたけしみたいにくれるもんならなんでももらっちゃう、と公言でもしてたら別なんですけどね・・・。

 

そんな風に、村上春樹ノーベル賞を結び付けられない村上春樹ファンって多いような気がするんですけど、どうなんでしょう。少なくともハルキスト()のように、いつかきっと必ず受賞する、なんて脳天気に願ってはいないし、期待もしていないのがファンだと思ってます。

オーストラリアの書店における村上春樹作品の好待遇

ここで僕自身が目にした海外における村上春樹作品の好待遇ぶりを紹介してみましょう。

 

オーストラリアの書店で、日本人作家として唯一棚に表紙並びの好待遇を受けていたのが村上春樹作品でした。BORDERSのような大型チェーンは当然として、街の小さな本屋にも村上春樹作品コーナーが設けられていたほどです。作品が欧米人の思考にマッチしているような気がしないでもないので、ぼくの知らないその他の海外でもきっと多くの人に多大な影響を与えているのでしょう。

 

ちなみに、現地に常駐敵旅行者として滞在している間、村上春樹について欧米人と話したような記憶もあったりなかったり。なんかわざわざ村上春樹の作品どこ?みたいに聞いて書店員さんと話したような記憶があったりなかったり・・・。ただスイス人の友人に薦めたらハマってましたよ。これは確実です。

ぼくは村上春樹ファン、なのか?

ちょっと前までは、ぼくも村上春樹作品が好きでずっと読んでたので、ファンを公言できたのですが、実は『1Q84』以降読んでいないので、ファンとはいえないような気がします。『海辺のカフカ』で違和感を覚えて、『アフターダーク』で離れちゃいました・・・。

 

正直な話、過去の村上春樹作品を読み返す方が楽しいんですよね。好きな映画を何度も見るのと同じです。特に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のハードボイルド・ワンダーランドパートだけを読むのが好きで、節目節目に読んでました。ああ、そういえば最近は読んでないなあ。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

 

 

ということで、再びファンを公言するためにも、『1Q84』と多崎つくるとかってのを読んでみようかなあ。

 

いじょ。

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