「村上春樹を支えているのは、ファッションとして読む連中だ」


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まだ読んでないんすけどね・・・。

爆笑太田の「村上春樹を支えているのは、ファッションとして読む連中だ」というねたみそねみひがみから来る批判は、はっきり言って芸人として稚拙だし、小説家として幼稚だ。

確かにカウントダウンに並ぶような「ファッションとして読む連中」にうんざりしている気持ちは理解できる。しかしそれと村上春樹を一緒にして批判するのはかっこ悪すぎる。

村上春樹のファッション化(そんなものがあるのなら。)が進んだのは、ノーベル賞候補として取り沙汰されるようになってからだろう。もちろん以前からそうした指摘はあったので、爆笑太田のこの発言を知った時には、おまえ80年代からやってきたタイムトラベラーかよ!!、とすら思った。残念ながら僕は『ノルウェイの森』が大ヒットした時のことを肌で感じていないのでよくわからない。しかし、村上春樹自身が『ノルウェイの森』狂想曲に耐えられなくなり突然日本を離れ、常駐的旅行者として海外で生活することを選んだことなどから当時のブームがいかにすごかったかを想像することができる。

村上春樹は海外で高く評価されている。いわゆるアジアデビューを世界デビューと言ってしまうようなニセモノたちと違い、明らかに世界各国で読まれている。恐らく日本では誰もが一度はその名前を聞いたことのあるような高名な作家たちより、村上春樹の方が世界では知られているだろう。それくらいすごい作家なのだ。ノーベル賞候補となったのも海外で高く評価されたからだ。もし、村上春樹の小説が日本国内だけでしか読まれていなかったら、今のような村上春樹一強時代は訪れなかっただろう。なぜなら大ヒット作家ではあったものの、すでに安定期と呼ぶべき状態の時期があったからだ。しかしノーベル賞候補として毎年毎年ワイドショーで取り上げられるようになり、状況は一変する。日本人はこの海外で評価されることが異常に大好きな人種なので、「ファッションとして読む連中」に火をつけてしまった。そして『ノルウェイの森』と同じようなブームが到来、村上春樹一強時代へ突入していったのだ。

太田光が、ハルキスト(笑)を批判する気持ちはよくわかるし、僕もにがにがしく思っているのは事実だ。しかしそれによって作品を貶めるような発言はするべきではない。特に芸人であり小説家でもある太田光が、自分へ返ってくるブーメランを放つべきではないのだ。

太田光が「ビートたけしの劣化版」という言葉がぴったりくるような存在になってしまったのは非常に残念に思う。