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ハフィントンポストが提示したクライミライ


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トップの、佐々木俊尚、森達也、田原総一郎、津田大介、ほりえもん、自民党二人、民主党三人という並びを見て、くらくら来ました。ネットで名の知られた人たちに無料で寄稿させ話題を集めるというのはスタートアップには必須ですが、新しいブロガーを発掘・紹介することができないのはメディアとして絶望的です。この点だけで、ハフィントンポストにアカルイミライはないことがわかります。

ハフィントンポストがスタートするにあたり何をすべきだったかと言うと、自分たちで発掘した団塊ジュニア世代以降のブロガーをどーんと紹介し、彼らがハフィントンポストの未来です、と宣言することでした。無名だけどハフィントンポストが自信を持って紹介するブロガーです、とお墨付きをあたえ、実際にそれらブロガーの記事が面白ければ、きっとネットでは支持されたでしょう。

しかし蓋をあけてみれば、既存のニュースメディアに寄稿しているようなネット有名人+αというしょぼいものでした。そこにあったのは、ハフィポスのクライミライだけだったのです。ドーピングしてスタートダッシュを決めようと思ったけどフライングで一発失格してしまいました、という惨状に近いのがハフィポス日本版と言って良いでしょう。


※このトップの周りにいるのが未来を担う無名の若手日本人ブロガーたちだったら、どれだけ良かったでしょう。残念ながら、お前誰だよ、というしかありません・・・。

で、気になった点をいくつか。

ハフィントンポストが従来のニュースサイトと違うのは、ニュースやブログをベースにした、ユーザのポジティブな意見交換を目的のひとつにしていることです。

ポジティブ信仰かなにかでしょうか?

そもそも、ポジティブ=良きこと、のような印象を持っているとしたら、それはすごく危険な信仰だと思います。特に意見交換なんてポジティブなものばかりで成立するわけないじゃないですか。ちょっと批判的なことを書いたら検閲で弾くという作業をするだけでうまくいくと思ったら大間違いです。(※すでに運営に批判的なことを書いて不採用になった方がいるらしい。)運営が好まないような流れをせき止め意図的に投稿を操作することで議論をコントロールしようとするのであれば、その議論に何の意味があるのかよくわかりません。最初から結論ありきの議論を作るために検閲をする、と曲解されてもしょうがない点が見受けられるのがすごく残念です。(“人にやさしい”掲示板の失敗を挙げるまでもなく。)

ハフィントンポスト日本版では『団塊ジュニアを中心に意見発信してもらうこと』を目指しています。現在の日本の人口ピラミッドで層は厚いにも関わらず、その声があまり聞こえてこない、もしくは、きちんと伝えられていないのではないかという問題意識が常にありました。

上に挙げた面々を見ても、団塊ジュニアはほとんどいませんけど?

冒頭で述べたように、団塊ジュニアを応援する、というマニフェストを掲げつつ、実際採用されているのはネット老人ばかりなりという悲しい現実がそこにはありました。これは今後の展開でどうなるかわからないので、頑張って若手を発掘し育て上げてください、というしかありません。

私がハフィントンポスト日本版編集長を務めるにあたって、個人的なミッションをひとつ課しています。それは、『日本文化を発信すること』です。

つまり、英語で発信するということですね。

「日本文化を発信する」なんて大上段に構えるより、日本の生活に密着した日本人には当たり前だけど外国人からみたら興味を引くこと、を発信するべきだと思いますよ。特に円安で日本への観光客も増えるでしょうから、日本のニッチな部分を紹介することができたら、それはとても価値が出る媒体になるかと思います。

「寺とかもういいよ。もっとクールなジャパンはないの?」と外国人に聞かれた時、「こんなのもありまっせ。」と提示できるようになれば成功するかもしれません。だって中野ブロードウェイに行ってみたい外国人が増えてる時代なんですもの。

結論:個人的にはもう出落ちで終わってしまったとしか思えないので、また期間を空けて眺めてみようかと思ってます。

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