テレビCMはもう「死んでいる」


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テレビ三昧な日々を送る。

以下、ほぼ日今日のダーリンからの引用である。

いやぁ、『ほぼ日テレビガイド』なんていうまぁしょうもない座談会をやってるぼくですが、これだけテレビを気にした正月はないですね。おもしろいから見ている、というわけではないんです。つまらないぞ、と怒っている人ともちがうんです。気になってしょうがなくなっているのです。あれだけのほんとうにマスのメディアですから、人が騒いでいるほど「死んでいる」とは思えません。死んじゃあいない。力だってある。だけど「死んでるみたい」に思えるんですよね。
 
若い人の弾力的なボディってあるでしょう。逆に、老いた身体というのは、指で押せば押されたままになりますよね。内側からはね返すような若々しさがないんです。若い人がたくさん出ていても、生き生きはしてない。どうしてかなぁ、どうしてそう感じるのかなぁ、というようなことを思いながら、テレビを見てました。見舞にいって、病人の表情をじっと見ているような複雑な気持ちでした。
 
番組の間に放送されているCMのほうは、番組以上に「死んでるみたい」に思えました。効果を信じないで作ってるみたいに見えるんだよなぁ。テレビのCMのほうが、危うい状態なのかも知れない。いやぁ、ぼくはこのまま今年は、もっとテレビを気にしたままで過ごしてみます。

読んでみてなるほどと思ったのがテレビは「死んでいる」のではなく「死んでるみたい」という点。確かにまだテレビは死んではいない。しかし死につつあるのは確実であり、年末年始のテレビ番組はそのことを如実に物語っていたように思える。

でわテレビCMも「死んでるみたい」なのか?否、テレビCMはもう「死んでいる」と思う。僕にはリアルタイムでテレビを見ないという信条がある。なぜかと言えばテレビCMが嫌いだから。HDDに吸いこませたテレビ番組を次々と、CMをスキップしながら、消化していく。とても効率的だ。二時間の番組も、CMをスキップしながら、見れば一時間半で見ることができる。極端な話、つまらないと思えば5倍速で中身の確認だけして見たくなければ即座にゴミ箱へ放り込むことができるので、時間を無駄にすることがない。そしてリアルタイムで見ないことで受ける最も素晴らしい恩恵がある。それは、今すぐに知りたい情報をCMをまたいで引っ張るようなテレビ局の汚い見せ方にいらいらさせられることがないという点である。例えばドリームマッチでは優勝コンビ発表の前に二回CMを挟んだ。シンジラレナイ。そこまでしてCMを見てもらいたいというテレビ局側の執念みたいなものを感じる。しかし、ああいう見せ方をすればするほど視聴者はリアルタイムでテレビを見なくなるだろう。つまり、テレビ局は自らの首を真綿でじわじわと絞めているのだ。結果的にテレビCMは死に、スポンサーはテレビCMから撤退、最終的にテレビが死ぬことになる。

テレビに未来はない。