ネットがつまらない?Okay, GTFO!!


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「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」

シロクマブログ読んだ。

いくつか引っかかった点があるんだけど、とりあえずコレ。

インターネットはどこまでも自己選択なメディアであり、自己責任なメディアでもある。「面白いものが観たければ自分で面白いものを探せ。面白くないインターネットなら、面白い場所やアカウントがみつかるまでネットサーフィンしてみろ」――遠い昔のネットユーザー、それこそネットスケープナビゲーターが幅を利かせていた時代を知っている人にとって、それがネットの常識だったと思う。リンク先の文章を書いた人も、過去のインターネットを知っているならその事を知らぬわけでもあるまい。

シロクマブログがいつからネットを使ってるのか知らんけど、「面白いものが観たければ自分で面白いものを探せ。面白くないインターネットなら、面白い場所やアカウントがみつかるまでネットサーフィンしてみろ」が常識だった、というのはいささか言い過ぎ、盛り過ぎ、森ガール。

なぜなら、かつてネットは数クリックで面白いものにたどり着けるくらい狭く、いちいちそんなことを言う必要がなかったからだ。サイトからサイトへ、数珠つなぎのようにして面白いものへとつながっていった時代があった。しかしいまはグーグル検索でもゴミサイトがずらずらっと並ぶような時代だ。面白い場所がみつかるまで数クリックどころではない。100回クリックしてもゴミブログだけ、なんてことは往往にしてある。例えば過去のインターネットをコップ一杯の真水とすると、現在のネットは夏を終えたのに水が抜かれず放置された学校のプールだ。真水をその澱んだプールの中に入れれば当然汚れて薄まっていく。つまり、「ネットがつまらないなら観測範囲を広げろ」というのは、汚れたプールから真水だけを取り出せ、と言ってるようなものだ。

古き良きインターネットを語るなら、当時の狭い世界のことを大前提として語るのが筋だと思う。

だから「ネットがつまらない」という人に対し、「観測範囲を広げろ。俺たちはそうしてきた。」というのは正しくない。古き良き狭きインターネットの時代には面白いモノを見つけられる打率は7〜8割くらいあった。しかし当時と同じ時間をかけてネットサーフィンしても、いまはせいぜい打率1割程度、否、それ以下だろう。もはやインターネットの世界は、短時間で面白い場所や人にたどりつけるようにはなっていない。故に、シロクマブログの下記表現に対して一部同意はするのもの、あまりにも思慮の浅い言説としか思えなかった。

「ネットがつまらない」=「自分がつまらない」は言い過ぎとしても、「ネットがつまらない」=「自分のネットユースがつまらない」「自分の眺めているネットがつまらない」なので、ネットそのものが問題というより、その人自身の所業によるところ大な問題だと思う。

怠惰の責任転嫁でしかない。

インターネットがつまらないと言って憚らない人は、鏡にうつった自画像に向かってつまらないと言って憚らないのも同義だと思う。

で、次にこちらを読んだ。

“「最近のネットはつまらなくなった」関連の話 ― 乱れなよ、そして召されなよ”

「ネットつまらない」論で、「つまらないと言ってる奴をどう変えるか」というのを考えるのはすごく不毛で面白くない......
うん、やっぱり「面白くないのかー、じゃあやめれば?」で万事オーケーだと思います。つまんないならやらなくていいよ。発信してない人がやめても誰も困らないんだし。

raf00の人が結論づけているように、まさしく「ネットつまらないならやめれば?」というのが正解です。そもそも「ネットつまらない」なんて言ってる奴ほど「ネットは全てを与えてくれる場所」と信じてやまないので、いくら面白い場所や人がいても自ら発見できる可能性は低いでしょう。

結論として、増田(匿名ダイアリ)のような場所で「ネットつまらない」と言ってるような人へ贈る言葉は、

「ネットを捨て、街へ出ろ。」

です。

だって「発信してない」キミが「やめても誰も困らない」もの。

かつを