年齢社会


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元国連事務次長の明石康がNHKの番組で、日本は年齢社会であり、年齢を重視し過ぎる傾向にあると嘆いておられた。

確かに日本にいると、ある一定の年齢に達したら、何何すべし(例えば結婚)という風潮がある。特に女性の場合20代後半となると、人生の選択肢がかなり狭められてくる。いくら女性が強くなったと言っても、まだまだ女は結婚して家を守るべし、という澱んだ考えを抱いている人々が存在しているのは、ある意味前時代的過ぎて怖い。

僕の友人にも年歳を気にする人がいる。僕が、年なんて関係ないよ、と言うと表向きは同意してくれるのだが、話の端々に必ず年齢を持ち出してくる。これは無意識のうちに刷り込まれた価値観のため、なかなか取り除かれることはない。恐らく海外、特に欧米社会で生活してみない限り、払拭し難い概念なのだろう、といささかがっかりしてしまう。

歳なんて関係ないのに、歳を気にする。そんな年齢社会に住んでいると、だんだんと息苦しくなってくる。僕が、海外、特に西洋文明での暮らしを好むのは、年齢を気にする必要がない、ということが大きい。

若いというだけで特権を与えられ、何でもできる、という幻想を抱いている人々が多い社会。そんな日本人の精神年齢の低さは、結局歳を取っていれば無知でも構わない、という年齢社会システムのせいだろう。年上でも尊敬できない大人が多いのは当然の結果である。

日本は第二次世界大戦の失敗から、精神的なものに対して拒否感を抱くようになり、物質的な社会を礼賛してきた。その結果、経済的には大成功を治めたが、深刻な不景気を前にし、全く太刀打ちできずにただただ立ち尽くしているように見える。この国に未来はない。