アドバイス罪って何だ?と思ったら、「大きなお世話だよ、ばかやろー」のことだった


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意識高い人と意識高い系な人とは根本的に違います。後者は、意識高い系(笑)と小馬鹿にされても仕方ない存在だと思います。どうも、ぼくです。



さて、タイトルのお話。

iPhoneとSNSの普及によって、いままでネットに参加できなかった情弱とバカが一気に流入してきたことは、昨年起きた一連のバカッター騒動で証明されました。またインターネットタイムにおいては老害と定義される40代以降のユーザーも多数流入し、結果的に「大きなお世話だよ、ばかやろー」と言いたくなる案件が増えてきたように思います。

なぜ人は、求められてもないのに、他人に説教したくなるのか?

ビートたけしのネタで、「こんなことしてちゃいけないよ」と股間をふくらませながらソープ嬢に説教し始める親父、というのがありましたが、それに近いことがSNSでは蔓延しているようです。

有名人へのリプライを検索すると、そんなことまで言うのか?と驚くようなメンションが多々あります。これを受ける方からすると、アドバイスを罪として忌避したくなる気持ちもわかります。

アドバイスや説教というのは、見ず知らずの人間からされても不快なだけです。おそらく自分がそうされたら不快だと思うはずですが、想像力の足りない人間はそれがわからないらしく、平然と他人にアドバイスをします。それを罪と断じることについては何の問題もありません。

ぼくも信頼できる人間からのアドバイスは受け入れますが、見ず知らずの人間によるアドバイスは受け入れません。例をあげましょう。ゴルフの練習場には「教えたがり親父」がたくさんいます。見ず知らずの人間に対し、頼んでもいないのにフォームのチェックをしてアドバイスをしてくるのです。ぼくはそういう親父が大嫌いでした。だから、無視、無視、無視、無視、とやっていたら、アドバイスしてこなくなりました。一方、知り合いのゴルファーにはよくアドバイスを求めたし、言われたことを守るように心がけていました。それは一緒にラウンドし、彼らの言うことが正しいと認識し、信頼していたからです。つまり、アドバイスとは信頼できる人間同士でしか通用しないもの、と言えます。

4月から新年度がスタートしますが、信頼関係を構築しないまま新入社員にアドバイスをするのは止めた方がいいですよ、とでも言っときましょか。

いじょ。

 

 

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